榛名神社に参拝し、帰りに引いたおみくじで大吉と中吉を出した我々夫婦であったが、大吉を引いた妻はなちょは目を覚まして元気になり、中吉を引いた私は封印されていた便意が解き放たれるという、運勢の如実な違いを実感しながら、近くの蕎麦などが食べられるお店に入ったのであった。
「アイスクリームを食べよう」
と言いながらお店に入ったのだが、はなちょは「こけももシェイク」、私はホットコーヒーを頼んだ。
数秒前のことすら忘れる私たちである。
こけももなるものを初めて食したが、あんこ的な甘さとベリー的な甘酸っぱさがなかなか美味である。
あんこが苦手なはなちょは好きではなかったらしい。
ホットコーヒーも美味しかった。
ホットコーヒーといえば、私の中では「胃腸を動かす飲み物」というイメージがある。
コーヒーの成分自体にお通じが良くなるものは無いらしいが、私の場合はそんな気がするのである。
つまり、蘇りし便意を抱えながらホットコーヒーを飲むことすなわち、山のトイレで用を足す覚悟を決めたことに等しかった。
おもむろに私は言った。
「トイレ行ってくるね」
あるいはそれは、声になっていなかったかもしれない。心の叫びが私の精神世界で決定的に表出したものが、現実世界の意識に投射され刻まれたものかもしれないのだ。
「行ってらっしゃい」
と、はなちょは言った。
結論から言おう。
清潔だった。そのトイレは。
山のトイレなのに、である。
誠に稀有なことだ。
ただし、ウォッシュレットは無かった。いや、それはただの高望みか。山のトイレなのだから。
トイレでお尻を吹きながら思った。
ウォッシュレットは必須機能だ。
紙で拭いただけでは、拭ききれている気がしないのだ。
紙に何も付着しなくなっても、しばらくは拭き続ける。
全く資源の無駄である。ある種の強迫障害とも言える。
ウォッシュレットであれば、2〜3回拭けば気がすむ。
嫌ウォッシュレット派は言う。「ウォッシュレットのノズルすごい汚いじゃん。あそこから出てくる水当てても汚くなるだけだよ」と。
好ウォッシュレット派の論理は、私が言ったとおりだ。「紙で拭いただけで綺麗になんかならないじゃん。手に汚れが着いたらどうする?紙で拭くだけ?水で洗うでしょ」
こんな議論は水掛け論だ。
どうせ水掛け論なら、私はやはり水を掛けたいのだ。
店を出て傘を返し、榛名神社を後にした。
目指すは今日宿泊する宿、四万温泉の四万やまもと館。
「糞便にまみれたケツ穴を早く浄化したい」と私が呟くと、はなちょは大爆笑した。
もちろん、温泉でではなく、ウォッシュレットでである。
それにしても、30歳にしてどこまでも幼稚な夫婦だと我ながら思った。
次回に続く
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