「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがありますが、反対に、知恵の小出しというのも、日常的に高く評価されるには有効な手段となります。福沢諭吉さんは、本書ではそのことをすすめています。
鼠捕る猫は爪を隠すとは言うけれど・・・
「鼠捕る猫は爪を隠す」ということわざがあります。「能ある鷹は爪を隠す」と同じ意味です。
これらは、素晴らしい才能や能力を持つ人は、謙虚であり、むやみにそれを人に見せびらかしたりはしないものだというたとえからきていることわざです。
確かに、自分の才能に対して謙虚な姿勢であることも大切だとは思いますが、福沢諭吉さんは、「隠すのはよいとしても、死ぬまで隠して鼠を捕らないなら、爪はないのと同じだ」と言っています。
昔と今の若者の共通点
「若者は、英雄を気取って世間のことを気にしない。愚か者だと批判されても聞き流すだけ。今の自分は本来の自分とは関係ない。今の仕事は自分にふさわしくない」
福沢諭吉が生きた江戸・明治期の若者には、こういった性質があったようです。不思議なもので、今の若者も同じですよね。「俺はまだ本気を出していないだけ」ってやつですね。
若者にしてみれば、自分の才能や能力は、簡単なことには使わず、いつかくる大きな機会にこそ発揮するんだ、というつもりなのです。しかし、チャンスは、自分から進んで求めていかなければ出会えないものなので、ついにそんな機会に巡り合えず、力を発揮しないで人生が終わることになってしまいます。
チャンスを無駄にしない
福沢諭吉さんの言う「知恵は小出しにしろ」というのは、「チャンスを無駄にするな」ということなのだと思います。
鼠を捕まえようとするなら、猫の方から近づいていかなければいけません。鼠が猫を見つけて、捕まえてもらおうと自ら近寄ることはありえないのです。
福沢諭吉さんは、豊臣秀吉を引き合いに出しています。
秀吉が出世していったのは、天下人になれる知恵を持っていながら、草履取り、薪炭奉行、普請奉行など、大名になる人間にしてみれば小さいといえる仕事を任された時に、その時々に応じた知恵を小出しにして、チャンスを掴み続けたからこそなのです。
福沢諭吉さんの人生観から見れば、爪を隠してチャンスを待ち、ドカンと一発大きく当てようとする人よりも、コツコツ目の前の小さなチャンスを爪を小出しにして掴み取っていく人の方が、高く評価され成功しやすいということのようです。
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それでは、また別の記事でお会いしましょう。
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