【峠】第1回 継之助といく幕末の旅

峠【司馬遼太郎】
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どうも、塩ラーメンです。
映画化されることもあり、司馬遼太郎の「峠」を読んでおります。
主人公は河合継之助です。
これが大変面白いので、読みながら記事を書いていこうと思います。
継之助と共に幕末の日本を旅しましょう。

 

 

河合継之助ってどんな人

 

継之助は、現在の新潟県長岡市である長岡藩の家老として、北陸戦争を戦った幕末の人です。
この人がどんな人かと言うと、新潮文庫「峠(上)」147ページに書いてあります。

継之助は、つねにものの本質を見ぬくことによって、そこから思考を出発させるくせをもっている。

この一文が、継之助という人の本質だと私は思います。

何か事が起こっても、上辺だけを見るのではなく、【なぜその事が起こったのか?】【その事が及ぼす実際の影響は何か?】などを、あらゆる視点から細かく考えていく人なのです。

そういった継之助の本質が現れるシーンを重点的に、紹介していきたいと思います。

 

越後長岡藩は雪の国

 

「峠」は、もうすぐ雪が降りそうな冬支度の季節、長岡藩主席家老の稲垣平助の屋敷に向かって継之助が歩いているシーンで始まります。
ここで継之助が心の中でつぶやきます。

北国は、損だ

いや、全くその通りだと思います。
実は私も新潟生まれの越後人なので、雪国の大変さは身に染みております。
12月から3月までの約4か月間、雪に閉ざされて本当に大変なのです。
雪が降り始める前から雪囲いや消雪設備の点検などの作業が必要ですし、車のタイヤ交換は必須です。
雪が降り始めてからは、毎朝毎晩、雪かきをします。
道路は堆雪により幅員が狭くなり、雪の壁で見通しが悪くなります。
現代でもこれだけ大変なのだから、昔はもっと雪害はひどかったでしょう。

なので、同じ越後人として、継之助が「北国は、損だ」と言うのはとても共感できるのです。

 

江戸への遊学願い

 

継之助が主席家老を訪ねた理由は、江戸への遊学願いです。
これは1858年のことで、2度目の遊学になります。
1858年といえば、安政の大獄があった年ですから、すでに諸外国との交流があり、開国か攘夷かという議論のあったころです。
そういう年に、継之助は、尊王攘夷だ佐幕だという信条を持たず、自らの目で物事を見て、武士や藩や国が、今後どうあるべきかを模索したいと考えていました。
300年の徳川天下江戸幕府の終わりを感じ、幕末のうねりの本質を見極めようとしていたのですね。
稲垣平助から渋々、遊学許可を得て、ここから、継之助の「峠」が始まります。

続きは次回!

 

 

 

 

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